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April,2015 www.fitnessjob.jp31る仕事はしたいと悩んだ挙句、スポーツライターになろうと決心。出版社の採用テストも受けてみたが、家族に「それが本当にやりたい事なのか」と窘められ断念。将来像をはっきりと描けずに五里霧中状態だったが、教師になりたいという思いだけは捨てきれず、縁あって小学校の副担任をやることになる。 「教員としての正式採用ではありませんでしたが、副担任として担任の先生をサポートしながら、子供達の教育に携われる事は本当に楽しかったです」 という彼女だが、同時に高校まで打ち込んでいた新体操への思いも沸々と沸き起こり、小学校の副担任という職と並行して、新体操のコーチも行っていたという。 「新体操のコーチ業は、一年前位まではインストラクター業と並行して5年ほど行っていて、多い時には新体操のクラスを週に12本も担当していました」 小学校低学年から高校までは寝ても覚めても新体操、大学4年間は厳しい体育会でのラクロスと、嫌でも体力と根性は培われただろうが、畑違いのフィットネス業界という仕事は彼女にはどう映っているのだろう。 「子供への新体操の指導も、もちろん色々と考えさせられましたが、思考が完成されている大人に対して、言葉や動きを通して影響力を発揮しないといけないというのは本当に難しいと感じています」 そう言う田淵さんだが、一昨年からは某大手フィットネスクラブの教育チームの一員として、インストラクター養成コースの講師や社員研修、フリーで契約をしているインストラクターのレッスンチェックなどを担当している。 女子大生のラクロスと言うと、世の中のおっさん達が描く、「可愛くて華やか」というイメージが御多分に漏れず私にもあるのだが、いやいやどうしてかなりのコンタクトスポーツであったらしい。 「ラクロスは、棒の先に網がついたクロスと言われるスティックで、ボールを投げる、キャッチする、または奪い合いながら相手チームのゴールに入れるスポーツなんですが、体がぶつかり合うなんて当たり前で、クロスが頭や顔面にあたる事も珍しくないとても激しいスポーツなんです」 今の彼女からはそんな激しいスポーツを行っていたなんて、まったく想像もできないが、当時は真っ黒に日焼けし、コーチ、先輩の意見は絶対的な厳しい縦社会の中で揉まれたらしい。 「高校まではほぼ個人スポーツの新体操で、技の難易度、完成度、美しさなど、芸術性要素の高いスポーツを行ってきた分、チームがひとつになりとにかく相手ゴールに一点でも多くボールを入れれば勝ちというラクロスは、もの凄く新鮮で楽しかったですね!」 点数で〝評価〟されるスポーツから、点数を〝入れる〟スポーツへのシフトは、彼女をラクロスの虜にした。4年生の時には主将も務めるなど、ラクロスに心身ともに打ち込んだ4年間だったというが、この4年間があまりに濃かったのか、卒業後の事をしっかり考える時間や余裕がなかったようだ。 「4年生になると、卒業後の事をもちろん考えていましたが、どれもしっくりこなかったんですね」 そんな中で唯一やりたかったのが、体育教師だったというが、教員採用試験に失敗。それでも、スポーツに関わロビクス初体験だったというのだから、怖いもの知らずを通り越してある意味相当な大物だと思ったのは私だけではないはずだ。 「大学を卒業してからは、高校までやっていた新体操の指導を行っていたのですが、そこで一緒に指導をしていた先輩にエアロビクスインストラクターの道を進められ、『養成コースに申し込んでおいたから!』とあれよあれよとオーディションに参加する事になったんです」 エアロビクスについてはあまりに知らな過ぎて、不安も怖さも何も無かったというが、めでたく(!?)オーディションにも合格、6ヶ月間の養成期間を持ち前の好奇心とガッツで乗り切り、晴れてインストラクターとしての道に進むことになった。だが、先輩に進められて養成コースに行った位だから、もともと彼女の興味はフィットネスにはなく、とにかくスポーツをする事が大好きだったという。 「小学校の低学年から高校までは新体操をしていたのですが、東京の体育大入学をきっかけに何か違うスポーツにチャレンジしたいと思い、ラクロス部に入る事を決めました」 「縁あってフィットネスというフィールドでも教育に携わらせてもらっていますが、毎日、自分は本当にこの立場に見合っているのかと自問自答する日々です」 謙遜する田淵さんだが、この仕事を行うにあたり忘れられない言葉に出会ったという。それは、「知識は新しく正しくなければいけない」という言葉だそうだ。彼女はこの言葉を深く受け止め、常に勉強を怠らないというプレッシャーを自らに掛けているという。過去の経験や実績に胡坐をかいて、時代性のない指導をするのではなく、〝新しくて正しい指導〟を目指す田淵さんからこの言葉を聞いたとき、私自身への戒めとなったことは言うまでもない。最後に、彼女の今後の展望を聞いてみた。 「大学まで厳しい環境でスポーツをしてきましたので、それなりに体力や精神力はあると思います。ただ、社会人としての経験はまだまだで、特に一般社会常識は乏しいと感じています。ですから、勉強や経験を積むことを怠ることないよう意識を高めたいと思っています。そして、将来的には、フィットネスクラブという環境以外でも、運動の素晴らしさ、効果を提供できる活動もしていきたいと考えています」 上手くいかないとき、それを他人のせいにして自分を肯定しようとするのではなく、田淵さんはそれらを受け入れるキャパと改善しようとする柔軟性を併せ持っている。社会人として、フィットネスインストラクターとして、この部分が今後の発展に繋がるもっとも大切なキーワードになる事を分かっているのだろう。これからの更なる活躍が楽しみな田淵さんに大いに期待し、今回の章を終わりたいと思う。有限会社スポーツゲイト代表取締役社長有限会社スポーツゲイトホームページURL:http://www.sportsgate.co.jp個人BLOG:http://ameblo.jp/sportsgate2001/取材後記丁寧に話をする姿が印象的だった田淵さん。虚栄心を出したり、逆に自身を悲哀するような事もなく、素直に正直な思いを言葉にしてくれていた。彼女が長年スポーツに取り組んできた中で、〝必要な理不尽と、不必要な理不尽〟の棲み分けを学んだという。最良の結果に導くためには必要な理不尽もあるというのが彼女の考え。アスリート時代に感情だけで判断する怖さや愚かさを体得できている彼女が、この業界で教育に興味を持ち、動き出してくれている事が何より嬉しい。そして、その田淵さんの存在が、自己管理や最低限のビジネスモラルも儘ならない〝教育者風〟インストラクターに対し、刺激を与えて頂ければ幸いだ。INTERVIEWER 丸山 寛

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