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Business本当に悩みました」 そんなときに支えたのは妻だった。「給料日まで数百円しかないのに、『お昼ご飯、買ってきて』って言われたんです。そのとき、笑っちゃったんですよ。お金がないのに買い物をしてきてなんて、無理に決まってるって。それで一気に吹っ切れました」 志だけじゃ、メシは食えない。思い切って1年後に退職しよう。転職前の準備として、まずは、健康運動指導士の資格を取得。退職と同時に人間総合科学大学人間科学科へ進学し、勉強を続けながら、地元の個人病院で、主に生活習慣病患者の運動療法に従事した。「病院での仕事は順調でした。リハビリの患者さんがどんどん増え、病 勉強が嫌い、運動も苦手、体も病弱。小学校1年生だったとき、マラソン大会でビリから3番目になった。でも、運動は苦手だけど、マラソンなら根性と努力でなんとかなるかもしれない。そんな想いで一念発起。毎日一生懸命練習したら、小学校6年生のときには見事、1位に輝いた。 中学校ではボランティア部に所属しながら、野球部と一緒に陸上トレーニングにも参加。高校3年生のときの就職ガイダンスでスポーツトレーナーという職業があることを知り、01頑張れば頑張った分だけ力が伸びるスポーツの世界「これだ!」と直感。専門学校卒業後、福岡にあるトレーニング指導の会社に就職し、会社が契約しているジムで指導を開始した。だが、社内を見渡せば、トレーニング指導におけるプロ中のプロばかり。重圧で、何度も辞めようと思った。でも、ここで負けるわけにはいかない。もっとたくさんのことを学ばなければ! 情熱的に取り組むうち、少しずつファンも増加。仕事に自信も芽生えてきた。そんななか、会社の業績が悪化、給料も激減した。「僕は21歳で結婚し、当時、子どもも一人いました。どんなにやりがいのある仕事でも、給料がなければ一番大事な家庭を守ることもできない。Dream, My My ビジネスで夢をかなえるProfile山口県生まれ。スポーツトレーナーの専門学校を経て人間総合科学大学人間科学科へ進学。スポーツ施設や医療機関等で健康づくりのための運動指導や生活習慣病患者の運動療法に従事。2009年、株式会社グローバルヘルスプロモーション創業。guestvol.040健康教育で、地球上の人々をしあわせに株式会社グローバルヘルスプロモーション 代表取締役山村勇介さん32January,2015 www.fitnessjob.jp

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