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秋田県で活動する渡部真吉さん。秋田県といえば、少子高齢化率全国1位、がん死亡率1位、自殺率1位と、日本の中でも課題先進国ともいえる土地。そこで、「トレーナー」という立場にこだわりながら、よりよい社会に近づけるべく邁進する。現状では、単に「トレーナー」と言っても耳を傾けてくれる人は少ないものの、「トレーナー」ができることを伝えたい。2013年、その渡部さんの強い思いが数々の実績に繋がった。April,2014 www.fitnessjob.jp11に来ていた。全国中学校スキー大会で優勝する実力を持つ選手で、怪我で練習ができず、リハビリを兼ねてトレーニングに来ていたのだ。当初は施設のトレーナーとしてその選手を見ていたが、その選手が高校に進学すると、その高校のコーチから声がかかり、以来その選手とチームのトレーナーとして働くようになった。また渡部さん自身学生時代に野球をしていた経験から、野球をしているジュニア選手のトレーニングにはどうしても目が行った。施設にトレーニングに来ていた高校生の部活チームにボランティアで指導に行ったことをきっかけに、隣の部活チームの先生からも声がかかるようになり、次第にジュニア世代のトレーニングにも関わるようになっていく。 さらに地元でスポーツトレーナーとして活動する人の多くが、柔整師などの国家資格を持っていることから、そうした資格を持ちアスレティックトレーナーとして活動している人とのネットワークを築いていくうちに、秋田県の体育協会所管のトレーナー部会にも所属。国体での帯同トレーナーの仕事なども行っている。渡部さんはこう話す。 「ジュニア世代には、特に正しい情報を届けたいと強く思います。というのも、自分自身野球に打ち込んできて、野球推薦で進学し、プロ野球選手になることを夢に描いて頑張っていました。でも、先生が言うことと、教科書に書かれていることが違って、何が正しいのか分からないまま頑張るうちにオーバーユースで腰痛を助長してしまい、結果が残せなかったのです。その経験から、一人でも多くの頑張っている人が、『やり切った』と思えるように、迷わず頑張れるように、トレーニングの原理原則を伝えていきたいと思っています」治療から体力づくりまで、一貫してサポートできる環境づくり 渡部さんはこれまでフィットネスインストラクター、スポーツトレーナーを経て、治療家として活動してきた。その時々のクライアントのニーズに合わせて、知識や経験を積み重ねるうちに感じたことが、「治療から体力づくりにいたるまでを一貫して管理できる環境づくりの必要性」である。そして、それができるのは、トレーナーだと確信している。ジュニア世代に見られるスポーツ障害も、中高年層に多く見られる関節疾患も、運動機能向上に関する正しい情報のもとに治療からリハビリ、機能向上を行うことが最も効果的であり、トレーナーはその核になれる役割を担える。こうした環境ができること、つまりトレーナーが活躍できる環境づくりをすることで、多くの方をハッピーにできることになる。「それを実現するには、自分がまずトレーナーとして影響力のあるスピーカーになること」と渡部さんは強い使命感を持ち活動を続ける。 「今や世の中には情報が溢れているものの、特に地元秋田では、メディアで話題になる情報に振り回されやすいと感じます。だから、正しい情報を多くの方々に届ける近道は、自分が影響力のある存在になること。より多くの生活者の方々に耳を傾けて貰えるように努力しながら、トレーナーができることを形にしていって、社会におけるトレーナーの必要性を地道に伝えていきたいと思います」 不名誉な記録をいくつも持つ秋田を、トレーナーの力でよりよい場所に。渡部さんは、数十年単位の長期的ビジョンに向かって歩みを進めている。フィットネスクラブの軒数も少なく、フィットネスやトレーニングの情報が届きづらい環境の中、地元に広く最新で本質的なトレーニングの情報や、トレーニング環境を創る活動を力強く進めていることが高く評価された。国家資格である柔道整復師、自治体の活動に参画しやすい健康運動指導士、トレーニング指導者としての民間資格であるNSCA-CPTを持ち、戦略的にトレーナーとしての発言力や影響力を高めて実績に繋げている。受賞理由人生満足度1997+100%0%2006200520042003200220012000199919982007200820092010201120132012ずっと続けて来た野球を終え、暫し放心状態。うっすらとスポーツに関わる仕事をしたいと考えるスポーツ専門学校入学。好きな分野だけを学べる機会を得て、仲間と充実した毎日を過ごす。イントラとして活動開始。理想と現実に思い悩みつつ、プライドを持って仕事にあたる日々。健康運動指導士、NSCA-CPT取得。知識を得る楽しみを知る。イントラを辞め、柔整学校へ入学。地元にて国体開催。トレーナーとして参加。競技スポーツへのサポートを強く意識する。柔整学校卒業。柔道整復師取得。思い描いていた『イントラ×トレーナー×治療家』の側面を併せ持つ「ハイブリッド・トレーナー」として活動を開始。それぞれの要素のバランスに思い悩む日々。11月ワタナベ整骨院開院も、4か月後に東日本大震災が発生。ミス・ユニバース日本大会にて担当する秋田代表が特別賞を受賞。トレーナー活動や講演活動が増え、徐々に意図する活動が出来る様になる。ミス・ユニバース・ジャパン秋田大会にボディメイク担当講師として参加。TV、新聞などのメディア対応が増加。ミス・ユニバース・ジャパン秋田代表のボディメイクを担当。活動の幅を広げる契機となった2007年田沢湖スキー場で開催された秋田国体冬季大会で、アシスタントトレーナーとしてアスリートをサポート温泉大国秋田の特権。トレーニング後のリカバリーには必須で、2日間も入らないと気持ち悪くなるほどの温泉好き。渡辺さんのこれまでの仕事人生グラフMUST ITEM!

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