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受賞理由トレーナーとしての確かな知識、スキルを磨き続けている一方で、ビジネス的な視点や実績を持っている。これまで体系化されていないトップアスリートのコンディショニングをマニュアルとしてまとめて共有した....

受賞理由トレーナーとしての確かな知識、スキルを磨き続けている一方で、ビジネス的な視点や実績を持っている。これまで体系化されていないトップアスリートのコンディショニングをマニュアルとしてまとめて共有したり、治療家の視点やスキルへの理解を深めるなど、しっかりしたエビデンスを学んだうえで、新たな価値を創出していることが評価された。Trainerトレーナー部門優秀賞弘田雄士さん(35歳)元プロ野球球団のコンディショニングコーチとしてコンディショニング全般についての高い専門性を持ちつつ、2010年秋より「鍼灸整骨院を併設する特化型のトレーニングジム」という新業態のジムにマネジメントメンバーとして参画。コンテンツ統括ディレクターとして老若男女に適応できるファンクショナルトレーニングをシンプルに提供する指導マニュアルを作成して共有、スタッフ育成にも成果を出している。と「態で確をにえニかの度こ自「にがをるタで習るマッフ創チとズのき実体携思ンら処契と分プな、高こッ達志。ーフォ業リしで弘い専ジるに系わっグト世約はのロるそめとフ成野2ケ育ーメュて田う門ムか成化るてがッ術のあ技野ここるでにし本0テ成マンウ活7年雄家経が果し今い体プと厳り術球とにこ、、た店1ィ管ンバコ躍間士3」「営鍵がてはま系アもしまやチへはと多一。の1ン理スーンしコンディショニングコーチさつの、〝をマをと出ま、し化スいいせノーにく般自黒年グアとデてんの成なせといたさリえ世んウ強飯繋の生身字に含ッしィはネムいの全むい視功りるめか。れーる界でハでげ人活の化はプてシ千ジさるトもでしウ思食ての者高をそ般まト、にしマや、ョた葉点働ャせすレ多自かこのの生たをいえいパにいオのにネ故一ニがいロがるもジ、ーる。ーく分しとコでき。他てるフ広専ー障般ンッまナののジはンてそ人あこしト弘ォく門プ1号携メ予生グ現テ」「いるとたーおノムなデたいれにレ田ーシ性ン店わン防活ジ在マ経た。で、を客ウのいィ。くは教ーさマェをとっト、者ムはリ営、新育様ハ経とシでた単え頃ナんンア、3ヶなて業スの」、「ーはー務者ト業成にウ営さョすめ年る?だスすス月るいタパ、のタン、」弘田雄士さんYuji Hirotaタチリュウコンディショニングジムコンテンツ統括ディレクター兼チーフコンディショニングコーチオハイオ州立トレド大学卒。プロ野球選手のひとり息子として生まれ、野球選手を目指すが、大学時代に野球界初のコンディショニングコーチ、立花龍司氏に憧れてトレーナーになることを決意。2003年より千葉ロッテマリーンズで7年間コンディショニングを担当。ボビー・バレンタイン監督のもと、2005年には日本一を含むチーム六冠を経験し、2010年より現職。パフォーマンスを高めるストレングス日本大学卒業後は単身渡米し留学。う武器になりました」かつ理論的に理解する事が出来るといマンスアップに必要な動きを、体感的を見る目が養われたことで、パフォー感じたのですが、自然に超一流の動きそれにより自分の選手としての限界をたものであるかを肌で感じていました。いたことで、その才能がいかに突出し「いつもプロ選手の練習を間近で見てレーナーの道を選ぶことになる。選手が身近にいたからこそ、自身はトるみでの付き合いもあった。だが、大行し、テレビで活躍する選手と家族ぐばかりの頃から大選手のキャンプに同阪神で活躍した弘田澄男氏。生まれた野球一筋。弘田さんの父は、ロッテやまでプロ野球選手の父の背中を追って、のは、大学生に入ってすぐの頃。それ弘田さんがトレーナーの道を選んだ武器を拾いながら走り続けるに参画するようにしています」点成をを、徹上底手しくてバいラくン自ス分さとせいなうがら3つ経の営視そして経営者視点で安定した黒字化達と、マネジャーとして人を育てる自分、繋げられます。今は専門家である自分の改善や社会的地位を高めることにもレーナーの雇用も創出でき、報酬面で指導風景。様々なスポーツ現場で指導させていただく機会も増えました。女子フィギュア、プロゴルファー、アーチェリーなど。緊張感もあり楽しい時間です。えることを目指して走り続ける。日本に「飯が食えるトレーナー」が増弘田さん自身もそれを実践しながら、経新聞の社説で知った言葉だそうだ。拾いながら走れ!」と話すという。日弘田さんはよくスタッフに「武器をています」に乗せられる方法を見つけたいと思っできる環境を創出し、ビジネスベースますが、日本でもトータルにサポートます。昨年から鍼灸の学校に通ってい来ることが求められる場合も多々ありいま部た分、か日ら本トでレはーニ1人の人間が治療に近ングまでを指導出どう体系化出来るかが今後大切です。ることは必須で、その精度を更に高め、携を密に取り、お互いの分野を理解すす。ただ、自分の専門領域以外でも連が連動したビジネスモデルとしていま施術とリハビリ、コンディショニングに近づけるべく、鍼灸整骨院も付帯し、携わっているジムでは、こうした環境野に絶対の責任を負います。今経営にる領域が決まっていて、自分の担当分士、技術コーチなどそれぞれが担当す行います。チームドクターや理学療法「米国での選手のサポートはチームでアシスタントを務めた。団傘下の3Aにてコンディショニングインターン生としてメジャーリーグ球&コンディショニングを徹底的に学び、TCGメンバーと。オープニングから苦楽を共にしてきたスタッフ達。能力的にも本当に大きく成長してくれました。今では頼もしい存在です。+100%弘田さんのこれまでの仕事人生グラフ2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012プロ現場での緊張感を維持するのが難しくなった時期。ロッテ退団人生満足度-100%米国留学、MLB3Aでのインターンシップを経て念願のプロ野球球団のコンディショニング担当として千葉ロッテマリーンズに入団現場における実力に自信がつき始めた時期。ロッテ日本一及び6冠を体験し夢のような体験を得る憧れだった立花龍司氏がロッテ復帰。一年間コー自分の能力不足を痛感し自信喪失。球界再編問題も重なりグラウンドに向かうのが不安な毎日を過ごすチングや指導を間近で盗む機会を得る新設されたジム施設に就職するも、経営面や現場マネジメントなどの比率が高く適応に苦しみ8月退社。その経験も活かすべく、タチリュウコンディショニングジム・TR習志野整骨院の立ち上げから全て関わり、11月オープンにこぎつける3月の震災の影響に苦しみながらもオープン3ヶ月目で単月黒字化を達成。4月から鍼灸専門学校への通学開始。専門誌での連載や陸前高田市でのボランティア活動、大阪熊取町にてタチリュウジム2号店OPENなど様々なチャレンジを経験できたMust Itemありきたりですがアイフォンと手帳に挟んでいる家族の写真。深い理解と笑顔を与えてくれる家族に触れて、いつも気持ちをリセットすることができています。April,2012 www.fitnessjob.jp16