『月刊NEXT』 No.50
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May,2011 www.fitnessjob.jp29東日本大震災復興支援仙台で活躍するインストラクターに聞く「今、私たちにできること」東北地方を襲ったマグニチュード9.0、震度6強の地震から3週間を経た4月1日、仙台で活動する4人のインストラクターに、これまでとこれからを聞いた。大変な経験を、インストラクター持ち前の明るさと、フィットネスで鍛えた身体と心で乗り越える姿が、元気と希望を与えてくれる。――地震の時はどうしていましたか?森 娘と一緒に外食して、お買い物して、「次の店行こうね」って車で移動中でした。運転してても明らかに揺れを感じて本当に怖かった。あちこちで凄い音がして、空も暗くて不気味でした。揺れが落ち着いてすぐにそのまま車でクラブの状態確認に向かいました。引地 私はゴールドジムにいたんです。ちょうどレッスンが終わって着替えて、そろそろ娘の学校が終わるかな、と帰ろうと思った瞬間。「あれっ、揺れてるよね」って。すぐに揺れが大きくなって、とっさにロッカーを抑えてました。クラブは商店街にあるので、外から「キャー」という悲鳴が聞こえて。揺れが収まり、ロッカールームにいた人をとにかく外に誘導して、サウナに人がいないことを確認して外に出たらショーウインドゥのガラスも割れて、しゃがみこんでる人もたくさんいました。西間木 私は岩沼という少し離れたところにいました。グリーンピアという施設でアクアのレッスンが終わってちょうど着替え終わったところだったんですけど、水着の方も結構いて大変でした。西野 私は毎週金曜日の横浜への移動日、バス停に後10歩くらいで着く直前でした。外にいるのも怖かったです。窓ガラスの割れ落ちる音や、壁が崩れ落ちる音、キャーという悲鳴と、地響き。ものすごい揺れで立っていられず、まるで映画のワンシーンみたいでした。でも、そういう時って、自分よりパニックになっている人がいると、助けなくちゃと思うのでしょうか「大丈夫、大丈夫」と腕を取りしゃがむ行為を行っていました。森 そう、一瞬にして正義感がわくんですよね。私も近くにおばあちゃんがいて、「大丈夫、大丈夫」って話しかけてました。西野 そうは、言っていても、自分の足も凄い震えていて。3・11震災の2日前にも結構大きな地震があったのですが、すぐに普通の生活に戻ったから、最初は「また⋮」くらいにしか思ってなかったんです。だから11日の地震の時は自分の前で何がおこっているのか、すぐには理解できませんでした。森 私はちょうど車だったので、クラブに行って無事を確認して、家に戻ろうとまた車に乗ったんですが、その時はとにかく「大津波警報、大津波警報」って繰り返し流れてて。そこで事の重大さを実感した感じ。西野 あと、すぐ電話がつながらなくなって、それも焦りました。私はとにかく新幹線で移動しないと、と。駅に近づくにつれ事の重大さというか、ものすごいことが起きたという実感がわいて。駅周辺は溢れかえる人で真っ暗。「どうしよう⋮、代行どうしよう⋮」って。ここから電話はまったく繋がらない。――復旧にはどのくらいかかったんですか?西野 電気が3日前後、水道は遅いところで2週間、ガスは、3週間たちますが、ここはまだ。森 はじめに電気が通った時の感動が一番大きかった。もちろん、その他も通じるたびに「ありがたい」って思います。――役に立ったものは?全員 まずは電源。安全確認も電話西間木由美さん 西野知香さん 引地博美さん 森裕美さん 仙台で活躍するインストラクターに聞く PrayforJapanPrayPrayforforJapanJapanJapan
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