『月刊NEXT』 No.45
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December,2010 www.fitnessjob.jp27MUが写真に撮られるその足元で、大泣きの一人息子創大(そうた)。私の抱っこでは泣きやまず、スタジオ上に泣き声を張り上げていたが、写真撮影が終わり、MUが抱き寄せると安心しきった表情を浮かべニコニコ。創大の豹変ぶりもなかなかのものだが、MUも負けてはいない。我が子が泣き叫ぼうが、カメラの前では完璧なインストラクターの顔で写真に収まり、そして撮影終了後、即座に愛情たっぷりな母の顔に戻る。どちらの顔にもプロフェッショナリイズムを感じた光景に、私の中で彼女への信頼感が増幅していくのがはっきりと分かった。たことが、エンターテインメントの世界でした。ショーアップされたステージの上で、それぞれの持ち場のプロが最高の形で交わる様は、一つの芸術だと思うんです。特にそれを感じたステージが、フランスの高級ブランドLOUIS VUITTONの東京コレクションにダンサーとして参加させてもらったときでした。フランス本社から来日したイベントチームの洗練されたクリエイティブさには、心底感動しました」 彼女のダンスインストラクターとしてのスタイルは、LOUIS V U T TONのショーにインスパイアーされているという。MUのクラスの特徴として、まず一番に感じることが、参加者一人一人が主役になれるということだ。参加者がとにかく気持ちよく踊れるための言葉掛けを、惜しみなく行う。その言葉には、一つのレールに無理やり乗せるような言葉はどこにも見当たらない。しかし、参加者はゴールは皆一緒であるというメッセージをMUからしっかりと感じ取っている。そう、「とにかく楽しもうよ!」というメッセージを。MUからのポジティブワードをシャワーのように浴び、スタジオというステージで最高のパフォーマンスを終えた参加者は、皆一様に達成感と満足感に満ち溢れた表情でステージを降りて行く。そんなMUでも、指導を行うようになった当初は壁にぶつかったという。「ダンスの世界は、指導法を学べるような学校のようなものがなく、ダンサーがそのままダンう事になるのだが、その熱の入れようは半端じゃない。「大学時代は、当然チア一色という感じでしたが、卒業してからも某大手企業のバスケットチームで専属チアリーダーとして4年ほど活動しました。その後、本場アメリカのチアを見てみたくなり、単身アメリカに渡り3カ月ほどダンスやチアの勉強をしました」 アメリカに行き、レベルの差に愕然としたというが、ここは持ち前の向上心で、何とNBAのチアダンサーズオーディションまでも受けている。「アジア人というだけで差別的な言葉で罵られましたが、3次審査までは残れました。もしも最終審査で選ばれたとしてもビザの関係で仕事はできなかったので、断るつもりでしたが(笑)」と、悪びれた様子もなくあっさりと言うあたりが、MUらしい。 渡米前はOLとして一般事務職に就いていたが、ダンスの仕事との両立は難しく退社。帰国後は加速度的に、チア普及のためのイベントや広報活動、更に某有名歌手のバックダンサーやテレビ番組への出演など、メディア活動にも力を注いでいく。「ダンスやチアをやることで、色々な可能性が広がっていくことが本当に楽しくて、その中でも最も楽しいと感じ有限会社スポーツゲイト代表取締役社長有限会社スポーツゲイトホームページURL:http://www.sportsgate.co.jp個人BLOG:http://sportsgate.blog81.fc2.com/ 父の影響とはなんだったのだろう。「私の父は、実業団のバレーボールチームの選手だったんですね。なので、姉妹全員が何の違和感もなくバレーボールを始めました。高校も姉妹全員が同じバレーボールの強豪校に進学するほどでした」 バレーボールとダンス。スポーツであるという共通項以外に、接点が見つからないが、MUの中では興味分野をしっかりと棲み分けし、両立していたようだ。バレーボールは勝負事、ダンスは楽しむもの、と。真剣に部活に取り組む一方で、体育祭や文化祭などの行事があれば率先して前に立ち、踊っていたという。しかし、まだこの時点で将来自分がダンスを仕事にしたいという気持ちはなく、とにかく楽しいから踊っていたというのだが、大学進学と共にダンスという色がMUの中で鮮明に色をつけ始めていた。「大学も体育大だったので、バレーボール部への入部も考えたのですが、髪の毛を短く切らなければいけなかった事が嫌だったのと、高校のバレーボール部の先輩がチアリーディング部に入っていたのがきっかけで、踊りたい欲求がムクムクと沸き上がってきてチアをやることを決めました」 ここから、本格的にダンスと向き合編集後記スの先生になるというのが常識。私も現役のダンサーの時に指導をするお仕事を頂いたのですが、教えるということがこれほど難しいのかと実感し、グループエクササイズ指導の基礎はエアロビクスにあるのではと思い、それまで趣味程度にやっていたエアロビクスのインストラクター養成コースに入る事を決めました」 エアロビクスインストラクターの養成コース入校を希望する99%はエアロビクスインストラクターになるためだが、グループエクササイズの指導法を学びたいという理由で入校を決めたという人は、私も養成コースの講師を15年ほどさせて頂いているが、見たことがない。しかし、MUのこの指導に対する姿勢が、フィットネスという枠の中でも成功した大きな要因である事は間違いないであろう。現在は、MEGA DANZ(RADICAL FITNESS)のマスタートレーナーとしても活動をしているが、細部に渡るクオリティの追求は、他のマスタートレーナーの誰よりも厳しい。「MEGA DANZに関しては、プレコリオである分、とにかくパフォーマーとしてのクオリティにこだわりたいですね。それは、私自身だけではなく、オフィシャルトレーナーにも要求していきたいことです」 最後に、出産後、完全復帰を目指すMUに今後の活動について聞いてみた。「子供を授かり、フィットネスの最前線から外れたときに、物理的にも気持ち的にも日本のフィットネスクラブの敷居の高さを感じました。私はこの敷居を多くの方がまたげる様な階段づくりを地道なサークル活動の中からしていきたいと思っているんです」 現在は、ダンスとヨガのサークルを行っているとのことだが、このサークルを卒業してフィットネスクラブに入会する方も少なくないらしい。MUのようなフィットネスの最前線で生きてきた人間が、多くの経験を活かした地道な活動から潜在的なフィットネスニーズを掘り起こし、フィットネスクラブへのモチベーションを促せるような努力が各地で広がること、更にそういったインストラクターの努力を報い、フィットネスクラブが受け入れやすい環境を整えてくれることを願い、今回の章を終わりたいと思う。INTERVIEWER 丸山 寛

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